月刊 生業(なりわい) ―エッジな人のおシゴトスタイル大公開―

「可能性」という扉を開くカギは、とにかく好きなことをやり続けること。

プロフィール
谷田部タケオ(やたべたけお)
1972 年9月栃木県佐野市生まれ。
株式会社HiGH CONCEPT代表。クリエイティブディレクター、サウンドプロデューサー
高校から渡米し10年の滞在を経て帰国。USドラムンベースチャートでトップ10入りを果たしたサウンドプロデューサー(ES9のメンバー)であり、クリエイティブディレクターとしてもNIKEやKDDIなどの数々のプロジェクトに参加。DIGITALSTAGEプロジェクトに携わり、グッドデザイン金賞受賞。先端テクノロジーとカルチャーの融合をテーマとした「テクノロジー・カルチャー」をコンセプトに、映像と音楽を同時に扱う「オーディオヴィジュアル」ライブ、音と映像の未来をテーマとしたテレビ番組のナビゲーター、造形大学での特別講師などマルチかつボーダレスな活動を続けている。

今の仕事を生業にしようと思ったきっかけ

谷田部タケオさん写真僕は「肩書き」を決めていないんですよ。音楽活動をしているときは音楽プロデューサーだし、メーカーと製品開発をしていればクリエイティブディレクター。しかも、自分で名乗るわけじゃなくて、相手が勝手に判断してしまう(笑)。でも、それでいいと思っているんです。肩書きで仕事しているわけじゃないから。じゃあ、何を生業にしているのかといえば、基本はドラムンベースという音楽ジャンルをもっと広めるための活動なんです。広めるプロセスで映像が関ってきたり、企画が関わったりして、そっちで評価をもらっていろんな仕事を手がけてきたというのが実態ですね。

そういう意味では、「きっかけ」の連続かも知れない(笑)。でも、いまの自分があるのは、たぶん中学の時に家族と行ったバリ島旅行がきっかけでしょうね。生意気にも飛行機内では、客室乗務員に英語で話しかけたら、なんと通じてしまった(笑)。バリに着いたら、今でいうクラブに行って、ミラーボールがきらきら回るフロアで踊ったりして…。栃木の佐野でそれなりに楽しく過ごしていた少年にとっては、まさにカルチャーショックですよ。「世界は広いぞ〜」ということを肌で感じましたね。で、すぐに考えたのが「留学しよう!」でした(笑)

留学のためのきっかけを探していたのですが、念願が叶ったのは高校3年のとき。近所に住んでいたアメリカ人の友人の親戚がアメリカのオハイオに住んでいて、そちらにホームステイ。それが1990年でしたね。そのままアメリカに居座って、ニューヨークの大学に進学。その学生時代に出会ったのがドラムンベースでした。もうそこからは、ドラムンベース一筋の人生(笑)。このジャンルはイギリスで誕生したのですが、当時のニューヨークにはいろんな国のアーティストが活動していたんですね。彼らと交流を深めながら僕も音楽活動に没頭していった。結局、ニューヨークには10年いました。アメリカでも評価は受けていたんですが、ある時、「日本人の僕がなぜニューヨークでドラムンベースをやってんだ?」というアイデンティティみたいなことに考えるようになった。ドラムンベースはどちらかというとメジャーの音楽ジャンルではないので、「じゃあ、日本でもっと広げようか!」ということになって、仲間たちと帰国を決めたんです。それが2000年のことでした。

シゴトに対するスタンス

谷田部タケオさん写真本場のニューヨークでそれなりの評価を受けていたので、正直、自信はありました。成功するだろうってね。でも、現実は甘くなくて、なかなか受け入れてくれない。いまでこそ笑い話で済ませられるけど、挫折とはいかないまでもけっこうショックでしたよ(笑)。ニューヨークでは世界的なアーティストと当たり前のように交流していたから、僕らも彼らと同じように世界のどこに行っても評価を受けられるんだっていう勘違いがあったんですね。そこからはニューヨークの実績なんて関係ない、ゼロからのスタートでした。クラブ(WOMB)のプロデュースに携わりながらドラムンベースを広げていきました。
ドラムンベースを広げるひとつの手段として、音楽と映像の融合を考え始めたのもその頃のことでしたね。高い評価をもらったのが2002年の日韓共同開催のワールドカップで、NIKEのプロモーションを手がけたとき。こんなに短期間に多くの欧米人が一度に日本にくることはそうないことですよね。だから、日本を彼らに知ってもらおうというプロジェクトだったんです。ニューヨークに長く住んでいたから分かるんですが、欧米から見た日本のイメージってけっこうデフォルメされていたり、断片的にしか伝わっていない。そこで、この機会にリアルな日本の文化を伝えるっていうコンセプトで、「テクノロジー」「ファッション」「音楽」を幕の内弁当みたいに1つの箱に入れたんですねよ。それが、コンピュータ・ソフト、NIKEのオリジナル商品、そして僕たちのレコードを入れた「カルチャーボックス」。これが評価されたんですね。 その中に入っていたLiFE* with PhotoCinemaがグッドデザイン金賞を受賞したり、自分たちのレーベル「06S Records」を立ち上げるなど、順調に活動しています。でも、振り返って考えると、東京で最初に活動をはじめた時の逆境があったから、今の自分があるのかもしれない。当時、上手くいかないときは、「ニューヨークだからいい」とか「東京だから上手くいかない」なんて考えていた時期もあったけど、本当は場所なんて関係ないんですね。結局は自分の生活の中でしか、ものを考えられないし、表現できないのだと思っています。そんな僕が目指しているのは、人間の五感に訴える表現をしていきたいということ。音楽は耳で感じるのものだけど、これに視覚を刺激する映像、さらに匂い、風など、身体で感じられるライブ感あふれる表現をしていきたいと考えています。そして、そんな総合的な表現ができる可能性をもっているのがITじゃないかと思うんですよ。

未来のクリエーターたちへのメッセージ

僕の経験を踏まえて言えば、できる限り好きなことをやって欲しいということ。結局、嫌いなことをやってもモチベーションは上がりませんから。僕がなんでこれまで走り続けてこられたのかというと、ドラムンベースが好きだから。この一点に尽きます。もちろん、いつも100%好きでいられるかというと、そうもいかないのが現実です。でも、それでも続けていると、自分を発見できる機会にめぐり合うことができる。自分自身が知らなかった可能性とかに。そこで今までと違った展開が可能になるわけで、それがまた面白いんですね。

しかも好きなことを前向きにやっていると、出会う人まで変わってきます。カッコいい、あるいはステキな人に出会えることになる。これは自信をもっていえますね。たぶん、同じ思いをもつ人間って自然と集まってくるんでしょうね。なんか通じ合うものがあるから。だから、何でもいいから仕事を楽しんで欲しいですね。もちろん、苦しい状況だって訪れるでしょうけど、そんな状況まで楽しんじゃう。そんな意思があればきっと新たな道は拓けるはずですよ。

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