月刊 生業(なりわい) ―エッジな人のおシゴトスタイル大公開―

「可能性」という扉を開くカギは、とにかく好きなことをやり続けること。

プロフィール
ドルバッキーヨウコ、1971年横浜市生まれ。
イラストレーター・デザイナー。バンタン電脳情報学院講師。1992年、多摩美術大学グラフィックデザイン専攻在学中、国際ファンタスティック映画祭ポスターコンクールに入選。1994年、多摩美術大学グラフィックデザイン専攻卒業後、コナミ株式会社にデザイナーとして入社。1998年に独立し、バンタン電脳情報学院講師に就くとともに、ミニモニ。のカレンダー、各種雑誌のイラストやデザインなどの制作に携わる。表紙イラスト、およびインタビューを収録したアメリカの美術雑誌『hi-fructose vol.6』(11月下旬発売)は国内のタワーレコードでも販売。
Webサイト http://www.dholbachie.com/

今の仕事を生業にしようと思ったきっかけ

ドルバッキーヨウコさん写真両親が共働きで、3歳くらいから昼間は油絵教室に預けられていました。普通なら託児所なのでしょうが、自宅近くの横浜・本牧にアメリカ人夫婦が運営する教室があって、そこに行ったんですね。自分で言うのもヘンですが私はかなり変わった子どもで、想像の中のお友達やペットがいて、一見、気味の悪い絵を描いていたから、親には随分と心配をかけたと思います(笑)。でも、その外国人夫婦はとても大らかで、どんな色を使って絵を描いても、想像上の動物を描いても、叱るどころか、「上手だね」「すごいね」と褒めてくれた。そのおかげで他の子よりは、絵を描くのが好きになったのでしょう。色使いをはじめ、現在の私の画風は、この時期の油絵に大きく影響されていると、今になって思いますね。

絵画を仕事として意識し始めたのは、中学3年生の頃。といっても、絵描きが給料制だと思っていたほど、具体的には何も知りませんでした(笑)。それでも高校入学後は、1年の頃から美大受験を考え、予備校にも通いました。最初は大学では油絵を専攻しようと思っていたけど、高校生の頃には色々な情報を仕入れていて、結局、就職に有利と思われたグラフィックデザイン科に進学。大学で学ぶうちにゲーム会社に入りたいと思うようになり、「ゲームといえばモンスターかな」と、恐竜や魚、爬虫類などをリアルに描く練習を始めました。粘土でモンスターを作って着彩し、Photoshopで加工するという少し凝った作品も作っていて、それが国際ファンタスティック映画祭のポスターコンクールで入選したこともありました。

念願通りに入社したゲーム会社では、森や町、城など、3Dの背景のイラストを担当しました。入社前に旅行したスペインのサグラダ・ファミリアを参考にするなど、自分なりのテイストを盛り込めたから、すごく楽しかった。半端じゃなく忙しい職場でしたが、絵を描くことを仕事にする幸せを初めて実感したのも、この時期ですね。並行して休日には自分の作品を書き溜めていて、入社から4年が経った頃、「そろそろフリーでもイケるのでは」と思い、独立しました。その約1年後からバンタン電脳情報学院の講師に就くとともに、しだいにフリーとしての仕事を広げて現在の活動へと続いています。

シゴトに対するスタンス

hi-fructose vol.6写真少し恥ずかしい言い方ですが、私は自分の絵が大好きなんです! ジーっと眺めて「ホントに素敵!」とか、思ったりしますから(笑)。特に色使いは、何かのメッセージを伝えるというよりは、自分がキレイと感じるものを選んでいますね。「見る人がどう感じるか」という視点も大事でしょうが、まずは自分の作品が好きでなければ、「他の人に見てほしい」という気持ちは生まれないと思うのです。

フリーとして独立した直後は、正直仕事は多くありませんでした。それが友人のツテでミニモニ。のカレンダー作成の依頼が舞い込み、精魂を込めて仕事をしたら、翌年以降も任され、結局、3年間、担当しました。さらに、その作品を見た他の会社から仕事が入り、どんどん仕事先が広がった。その経験から実感するのは、良い仕事をすれば、次の仕事につながって、その内容もステップアップするということ。当たり前の話に聞こえるかもしれませんが、きっちりと作品を仕上げるのはもちろん、期日を守る、連絡をおろそかにしない、といったビジネス的なルールも含め、トータルな仕事ぶりで判断されることを忘れずに仕事をしています。

最近は、私のWebサイトを通じて海外から仕事のオファーをいただくことも増えました。アクセスログをチェックすると、どうやら私のグロテスクな絵は、日本よりも、アメリカを中心とした海外の方々に好かれる傾向があるみたい(笑)。近々、アメリカの美術雑誌がロサンジェルスのギャラリーで主催するグループ展に出展する予定で、現在は10年ぶりに油絵を描いているところです。最近は、日本でも徐々に美術市場が広がってきたとはいえ、とくに若手アーティストを受け容れる土壌はアメリカが数段、進んでいるのは間違いありません。そうした事情もあって、今後は国内では従来通りに商業的な作品、一方、アメリカ向けにはアートを全面に打ち出した作品を描きたいと考えています。

未来のクリエーターたちへのメッセージ

私が接する学生の中には、「ああなりたい、こうなりたい」と言うわりには、行動に移さない人が多い。たとえば、「海外で活躍したい」と思うのなら、すぐにでも海外に飛び出す方が有利なはず。また、時々、「イラストレーターになりたい」と言って私の家を訪ねて来る子がいますが、その場合は「私の家ではなく、出版社に行った方が良い。出版社の連絡先はコンビニに売られている雑誌に、いくらでも書いてある」と、アドバイスします。たとえ、出版社から断られたとしても、そこでチャレンジした人には次がある。けれど、厳しいことを言うようですが、何もしない人には次はない。

本来であれば、できる限りの努力をすべきなのは、誰でも分かっているはずなのに、行動に移さない人が多いのはなぜか。きっと自分を否定されるのが怖いのでしょう。「自分には才能や個性があるか」と気にする若者は少なくありませんが、そもそも才能や個性は経験値を積んだ後に表れるもの。経験値が低いうちから気にしても、あまり意味はありません。今、私は、何かを作り出すというよりは、幼い頃から内に秘めていた想像を解き放つかのような感覚で絵を描いています。それも経験を積んで技術が身に付いたからこそ、表現できるようになったのだと思います。

まずは、「どんな才能があるか」ではなく、「何をしたいのか」を考えてください。そしてゴール地点を設定できれば、経験値も積みやすくなるでしょう。すべては行動によって決まることを、ぜひ忘れないでください。

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